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いい加減のいい加減さ

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 海辺に住んで、海遊びをしていると、マイペースでアバウトな人が結構います。いい意味で大らか、冒険的、挑戦的、瑣事にこだわらない人達です。
 ぼくもどちらかというと、そっち寄りの人間だと思います。
 そういうタイプの人達は、より楽しい海遊びができるかとか命に関わるかということには、とても敏感で、創造力豊かで、慎重です。でも、それに関係ないことには、まったく頓着しないという面もあります。

 一方で、どうでもいいことにすごく細かい人もいたりします。わりと仕事がらみで多いですね。こだわりともちょっと違う感じです。
 そういうタイプの人を見ていると、いい加減さって大事だなと思います。

 何でも完璧にやって失敗しないようにという考え方は、新しい事へ挑戦する機会を奪ってしまいます。
 組織の上層部の人が、少しくらい失敗したっていいからガンガン行くぞっていうところと、リスクをできる限り減らして守り重視で行くぞっていうところでは、自ずとその後の成長余力は変わってきます。

 で、これはマネジメントサイドの話でして、もう少しミクロなところに視点を移すと、実際の仕事の現場では、10人に1人くらいは、自分の仕事を進めるよりは、他人のミスの批判をすることに熱心な人がいるものです。
 こういう人がいると、そのチームはやっぱりミスを意識してしまい、全体の勢いがなくなってしまいます。

 ぼくはこういう傾向のことを「重箱病」と呼んでいます。重箱の隅をつついてばかりいるから、そう名付けました。

 話がずれますが、最近マスコミがやたらやるのが、内閣の政治家のちょっとしたミスや不祥事をことさらに騒ぎ立てて、野党もそこに加わって、問責決議を出す、辞任に追い込む、みたいなパターンです。
 これも構造としては同じだと思います。

 些末なミスに目くじらを立てて、もっと大事なこと、将来のことに意識が向かわず、チャレンジする意欲を削ぐ結果になっています。
 マスコミは政治に対するチェック機能を持つべきだと思いますが、それはもっと大きなことに対して向けられるべきで、大臣のちょっとした失言を取り上げて辞任に追い込むことではないはずです。

 ぼくの勝手な想像ですが、今の日本が元気がないのは、こうした「重箱病」が社会のいたるところにあるからではないでしょうか?

 そこから脱するには、いい加減のいい加減さを許容することだと思います。
 日本のような成熟した社会においては、現在顕在化している問題点に対して、何の非もない完璧な解決策がある可能生は低いでしょう。もしそんな案があれば、おそらくすでに実施されていたはずです。
 それに人々の価値観が多様化しているので、ある人々には良い解決策でも、ある人々には好ましくないということもありえるでしょう。
 一長一短がある解決策から何かを選択しないと、現状の問題点は解決できません。
 そこではある程度の欠点は許容して、新しい解決策を試してみるという姿勢が大切だと考えます。

 ちょっといい加減になることです。いい加減のいい加減さを大切にするといいんではないでしょうか。


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