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「そんなにマジになるなよ」な、ぼくらの世代の気分とウォータースポーツ



 ぼくらの世代は1990年代の前半で高校とか大学とかの多感な時期を過ごしました。
 時代はバブルからバブル崩壊に差しかかっているところで、世の中ってこんなに大きく変化をするんだなあって実感していたのを覚えています。
 小中高大と学生時代には、クラスでは、あまりマジになるのってかっこ悪いっていう雰囲気がありました。学生時代の同世代のそういう空気って結構影響力があったりします。
 この「あんまりマジになるな」というのは、今でも自分の中に残っているように思います。
 「あんまりマジになるな」というのを一応説明しますと、ガリガリ一生懸命やるのってかっこ悪いとか、どこかしら余裕があるのがいいとか、世の中の制度と体制にベッタリになると後々裏切られるかもしれないから信用するなとか、所詮人間は独りなんだから他人に頼るなとか、自分の価値観ややっていることを絶対だと思わず、客観的に見ている余裕があった方がいいとか、だいたいそういう意味を含んでいたと思います。
 どんなこともいい面と悪い面がありますが、「あんまりマジになるな」にも両面があります。
 悪い面では、なんとなく冷めているとか、泥まみれでもがいて必死になって何かをしないとか、少し孤独の陰があるといったことです。
 いい面では、何かに依存しないで独立的であるとか、ある価値観に盲従しないといったことです。
 先ほどぼくの中に「あんまりマジになるな」が今でも残っているといいましたが、それは仕事に取り組むときにも表れます。ぼくの場合は、仕事とプライベートの趣味であるウォータースポーツの関係で典型的に表れます。ぼくの親というのは団塊の世代前後ですが、会社人間とか過労死とかそういうのがよくありました。ぼくはそれを少し批判的に見ていたんです。
 そんなに会社とか組織とかに忠誠を尽くして、挙げ句の果てに自分は病気になったり、過労死したりして、それっておかしいよねって…組織~会社とか国とか~そういうものへの懐疑ってあったと思います。
 そういう懐疑が、ぼくの場合、自分のプライベートな生活を充実する方にいったんでしょう。自分の生活だけは確かだし、一生ついて回るものだろうと考えました。それは結構意識的にそうしてました。
 もちろん仕事はやりがいもあるし、大切だけど、なによりも生活や家族が一番大切で、そしてプライベートを充実させようとした場合たまたまウォータースポーツに表れたわけです。
 ここまで「あんまりマジになるな」ということを意識しながら、仕事とプライベートのバランスを少し引いた目で見る習慣がついた、ということを書きました。でも、自分がそれを意識して自分にいいきかせているということは、たぶんぼくも団塊の世代の人達と同じ気質を持っていることを自覚しているんだと思います。ともすれば仕事や組織に貢献することを優先しがちな自分がどこかにいる、それが極端にならないように歯止めをかけているというところがあります。
 いろいろややこしいことを書いてしまいました。
 こういう客観的で理屈っぽいことって、それだけが浮き上がってしまう傾向がありますよね。実際は、日々の暮らしって、平和で健康で安全であればそれがなによりも幸せなわけで、日々の小さな幸せを楽しみながら、生きていければそれでいいなあと思っています。








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