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自覚できない通奏低音のようなストレス…それこそ気をつけるべきもの?



 寒くても暑くてもちょうどよくても、海に出るのが好きです。
 海が荒れてどうにも海に出られないときも、海辺を散歩したり、砂浜でボーッとしたりしています。
 一応ぼくも働いていたりして、日頃は忙しくしています。休日でもやることはたくさんありますが、それでも海に出るのは、それが心地いいから、楽しいから、癒されるからです。
 おそらく都会に住んでいる方もたまに海に行くことはあるでしょう。広い海が目の前に開けたときの解放感や喜びや安らぎという気持ちは、多くの方が共有していることではないでしょうか。
 ぼくの海に感じる気持ちも、基本的にはそれと変わりません。それを飽きずに続けています。ただ続けているうちにもっといろいろな心地よさや楽しさを発見して、ますます海が好きになったということはあります。
 思い返せば、これまでときどき海に出られない時期がありましたが、そうすると体調が悪くなったのです。あるいは体調が悪かったから海に出られなかったのかもしれません。どちらにせよ、今となっては、ぼくにとって海に出ることは体調を整えることとイコールになっています。適度に運動することがいいのかもしれませんし、ストレス解消になっているのがいいのかもしれません…
 さらに昔のことを思い出せば、ぼくが東京に住んでいたときは、ビルの谷間と行き交う車と大勢の人の中で、気持ちがクサクサしていたのでした。どこに行っても建物ばかりで空が狭くて視界が開けていないのが、イヤでした。いえ、それがイヤだと認識したのは後からのことで、そのときはそれが当たり前だと思っていたのです。そういうイヤなことというのは、自覚がなく、まるで通奏低音のように常に気持ちに働きかけていて、少しずつ少しずつ気持ちを荒ませていくんじゃないでしょうか?
 なので、海辺に引っ越したときには、何かから解放されたような晴れやかな心地よさを感じたのを覚えています。それまで自覚していなかったんですが、ぼくは重い荷物を背負いながら暮らしていたんでしょう。
 よく田舎暮らしのよさを語るときに、キレイな空気やおいしい食材をあげたりしますが、それはあくまで自覚できるものであって、実は、その土地に流れる時間の流れだったり、空間の持つ雰囲気だったり、一見自覚できなもので、気持ちよさのベースが作られているんじゃないでしょうか…
 でも、それって毎日のことなので、自覚してなくても、体調や気持ちに影響はしている…ってことはあり得ると思うのです。
 無自覚なストレスが、病気として表れることもあれば、人間関係のギクシャクさとして表れることもあったり、あるいは全然予期していない表れ方をすることもあるかもしれないので、実はとても重要なことなんだと、ぼくは思います。
 どうせ生きるなら、心地よく過ごしたい、それが結果的にいろいろな災いを未然に防いでいることになっているかもしれないと、すべて推測ですが、そう思うのです。











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